【父の言葉】~我が家に受け継がれるナゾの行事~
我が家には曽祖父の代から続いている変な行事があります。
それは3月の終わりに家族全員集まって
父から有り難い一言が書かれた紙を受け取る
というもので、
筆で書かれたその紙には
一人ひとりに違う言葉が綴られていて
うやうやしく頂戴する謎の儀式を
我が一族は、
曾祖父の代から脈々と続けております。
このイベントが万国共通ではなくて
我が家だけのものだと知ったのは
中学1年生の夏。部活帰りのコンビニの駐車場。
衝撃のあまり、あの日のギラギラした太陽が
今でも瞼に焼き付いて離れない。
この面倒くさい謎の行事を
疎ましく思った時期もあったのですが
歳をとったからでしょうか?
当たり前のように受け入れている自分がいます。
さて、今年も実家に一族が招集しました。
近隣に住む親戚やら従兄妹やらも集まって
総勢35名。古い家が軋みます。
まず父から皆の者へご挨拶
「え~今年も我が〇〇家の皆様におかれましては~」
だいたい長いし、だいたい毎年同じ文言。
「それでは皆様の健康と繁栄の願いを込めて、一筆書きましたので名前を呼ばれた人から取りに来てください」
メインイベントがはじまりました。
子ども達は慣れない正座を強いられて
頬を赤らめて緊張しています。
ねぇみんなっ、ジジだよ?
昨日あんなに酔っぱらって『兄弟船』を熱唱していた爺さんだよ?って思うのですが
雰囲気というものは不思議なもので
ジジやらチチやらの肩書が
異様な雰囲気にのみ込まれて
聖職者を前にして今にも拝んでしまいそうな
うやうやしさと、胡散臭さ。
まずは子ども達から
4歳児に『和を以て貴しと為す』
6歳児に『人は見目よりただ心』
などの言葉が書かれている。
見てないけどわかるんです。
だって毎年そんな感じ。
私が子どもの時からそんな感じ。
簡単に「友だちと仲良くしよう」とかじゃダメなの?て、思うのだけれど
子どもたちは、もはや意味よりも
紙を受け取った達成感に満ちていて
なんだかとっても嬉しそう。
さていよいよ私の番
父から私あての書に、したためられていた言葉
畑を耕さずに実をとることを考えるな
おもわずギョッとして見上げると
大きくうなずき
賢者の振る舞いに、したり顔。
もしかして
「ブログで不労所得だ!イヒヒヒ」
という私の声が父に届いていたのでしょうか?
私が『働かなくても食べてよし!』の精神の元
色々と策を講じていることは
家族は誰も知りません。知らないはずっ
親子だからなのか?
それともこんな行事を取り仕切ってるからなのか?
父は感じたのかもしれません。
私の醸し出す賤しい匂いを。
ちなみに一番上の姉には
仁者は山を愛す
という言葉が贈られて
高尾山すら登った事のない彼女は
フンっと鼻で笑い
「ねー、もうさぁ、このイベント、今年で終わりにしない?」
と、みんなが言いたくても言えない言葉を
平然と父に投げかけるのでした…
でも、たぶん来年も続くと思います。
だって姉は毎年言うんです。
「今年で終わりにしない?」って。
姉の言葉が締めとなり、
『じゃあ呑みますか!食べますか!』
ていう、これまた毎年恒例の流れなのでした。
以上、お正月よりも親戚が集まる
我が家のヘンテコな恒例行事を勇気を持って告白しました!
なんで曽祖父はこんなことを始めたんだろうなぁ。
そして父の次に誰がコレを引き継ぐのかが
毎年議論されていて、そして今年も決まらない。
みなさんの家にも、大切にしている行事や習慣がありますか?
え?なにそれ!?
それって、普通じゃないかもしれませんよっ